年末はパリで過ごした。パリも昔とはちょっと変わったような気がする。 何というか、日本人やさしくなった様に思う。昔は英語しかしゃべらない日本人ってことで、すこし不親切にされたように記憶している。
そんなパリで私たちはバレエを見た。しかも、オペラ座で。 妻のたっての希望である。
そのためかつての旅行では考えられなかったものを持参しなければならなかった。それは、正装用の服。
しかし、ザックに入るようなコンパクトなものを選んだ。
パリ滞在中のホテルの近くにあった旅行エージェンシでポルトガル行きの 切符を買った。安いチャータフライトを探したのだが日にちが合うものがなく結局行き帰りともSUD-EXPRESSとなった。話の種になるかと帰りは寝台を取った。
この列車−SUD EXPRESS(南方行き急行)、以前はパリ−リスボンを1日1本25時間で結んでいたのんびり列車。今はフランスTGVがスペイン国境までのびたので、これに乗り継いで約19時間。でも乗り継いだ後のんびり列車は変わらない。ヨーロッパの寝台車はワゴン・リー社のものが多いが、SUD-EXPRESSのはポルトガルのローカルな寝台車そしてクシェットがつく。
食堂車も素朴だ。
クシェットの部屋を共にしたのは、ポルトガル・シントラ在住のコンピュータ技師?とスリランカの青年。シントラの人は休暇をアルプスで過ごしスキーを楽しんできたという。
顔は無精ひげでみなりはアウトドア風だ。 周囲に気を使い場を盛り上げようとしてくれた。
「ベッドはどのように割り振ろうか?」
「何時になったら消灯しようか?」
など、いろいろ気を回してくれた。 一方、スリランカ青年はいつもににこにこしているがあまりしゃべるのは好きではない様だ。
寝る前に、シントラの人が大きなアルミホイルの包みをザックの中からとりだして、シートの上でいきなり開き始めた。フランスにいるGirl
Frind が作ってくれたという、パウンドケーキだった。妻と私に、さあ食べようと勧めてくれた。私はリスボンのロシオ広場で食べたとても甘いケーキを想像したが・・・。しかし、それは甘さは控えめでとてもおいしかった。
みなでベットに潜り込んだ後はシントラの人の合図で消灯。
「さあ、電気を消していいかな? じゃあ、みんな、寝よう。おやすみ」
翌朝我々は好奇心から食堂車で朝食をとった。 コンパートメントに戻ると、シントラの人がザックからパンやら ジャムやらヨーグルトやらを出して朝食を食べていた。 ここで、また妻がトマトジャムをぬったパンをいただいた。 妻によるとこれはとても不思議な味がしたそうだ。