ベンツは村はずれにある真新しい建物の駐車場に入りました。
今まで見てきた建物がくすんだ壁の壊れそうなものだったり、岩穴をくり抜いたようなものばかりだったので、目の前に見える景色が、その時の私にはすこし異様に感じられました。
そこは村の農協の特産品展示場のようなところで、なかには、この地方の特産である絨毯や陶器、ワインなどが展示してありました。 中に入ると、中背だががっしりした体つきの男性が私たちの前に現れました。ここで展示品の説明をしている人らしいのです。
彼は日本語で挨拶しました。私も思わず日本語で「こんにちわ」と言いました。その時の私は、秘密情報を握っている諜報員が相手にカマをかけられ、思わずキ−を漏らしてしまった時のような心境でした。
彼はイスタンブ−ルの大学に通っている学生であり日本語もそこで習っているとのこと。
私たちは小学校の教室の2倍ほどもある広い部屋に案内されました。部屋の隅には絨毯をロ−ル状に巻いたものがいくつも並んでいます。部屋の隅の椅子に座ると程なく彼の説明が始まりました。
内容はもちろん村の特産品、絨毯についてです。説明は日本語で続きます。しかし彼は「村人」をムラジンと言ったり糸を紡いでいる女性のことをムラノオジョウサンと言ったりするなど音訓や敬語の使い方が目茶苦茶で、しかも時々場違いな形容詞を用いたりするなど、非常にたどたどしいものでした。普段生の日本語にふれられない辛さがにじみ出ていた。
しかし、見せてもらった絨毯はどれもど素晴らしいものばかりでした。 なかでも1mmに十何本かの糸が通っている絹で作られたもの・・・それは値段も相当なもので、私たちの年収の何割かを占めるものもなかにはありました。彼はこれらの絨毯がムラノオジョウサンによってどのようにして作れれているのかなど実演を含めてこと細かに説明してくれました。そして一つ一つ何年かけて作られ、それでムラノオジョウサンの給料はいくらだ、などいうことまで・・・。
このころから、説明する彼の顔が少しずつ真剣になってきます。彼は言いました。
「これから1枚づつ絨毯を広げていきます。あなたがいいと思った絨毯があったら合図して下さい。」
いつの間にか私たちの側に少年がいました。彼は少年に厳しい口調で指図しました。
「+*+!」 (トルコ語)
その強く短いトルコ語がたどたどしい日本語と対照的です。間髪入れず少年は部屋の隅のロ−ルを投げるように転がします。大きな音を立ててあざやかな色をした絨毯が広がります。その絨毯の説明をしながら
「それでは次に...」
といって、再び少年に指示。少年は別の絨毯を広げます。そのあざやかな絨毯の上に彼は皮靴であがり、模様の意味を指で指しながら説明を始めます。何だか自分の胸を踏みつぶされている思いです。
そんなこちらの顔色をうかがって、又少年に指示。絨毯がパッと広がる。たどたどしい説明。指示。
不思議なことに、その繰り返しが次第にリズム感を帯びてきました。私の心臓も それに同期するようにその周期を早めていきます。そしていつしか絨毯が幾重にも重なって部屋じゅうを多い尽くしました。私の不安も最高頂に達しました。 ”このままでは終わらないだろうな・・・”
次の瞬間に現実のものとなりました。執拗な押し売りの始まりです。今度は1枚1枚たたみながら、一つ一つの絨毯の説明に加えて、なぜこんなに素晴らしい絨毯を買っていかないのか、日本じゃこんなに安く買えないだろう、買えば一生物だ、金銀より価値がある、政府公認証付きだ、 カ−ドも使える、空輸もする、等々。ムラノオジョウサンと私たちの収入の比べものにならないほどの違いまで引き合いに出されます。こちらは日本の住宅事情をこと細かに説明するなどして対抗。
最後の一枚をたたみ終わってから、私は毅然とした態度で言いました
「絨毯はどれもすばらしい。イスタンブ−ルの店で見てきたものより手が込んでおり、あざやかできれいだ。他じゃなかなか見られないだろう。でも、今は不要なものは買っていかない。」
彼は紳士的でした。
「残念だがしかたない。でも日本に帰っても、ここのムラジンが素晴らしい絨毯を作っていることを忘れないで下さい。そしてわたしと会ったことも・・・」